生い立ち②

大学入学後は今まで続けていた野球以外のスポーツがしたくなり、以前から少し興味のあったラグビー部に入部しました。大学でもやはりスポーツ中心の生活でほぼ毎日ラグビーをして過ごしておりました。しかし体がもともと非常に固く、また不器用な私はラグビーにはあまり向いておりませんでいた。練習、試合中に肩脱臼、膝の靱帯損傷、肉離れなどの大きな怪我を何度もしてしまい、結局あまり満足な結果を残すことができませんでした。大学5回生になると診療の場で実習をするようになります。病院での臨床実習をし「未来のある子供の医療に携わりたい」という思いが強くなりました。産婦人科か小児科で大変迷いましたが、より子供と長く接することができる小児科を目指すようになりました。

医師免許取得後は滋賀医科大学医学部附属病院にて小児科の研修をさせていただきました。その後いくつかの総合病院で小児科医として勤務をしていくうちに小児科の中でも心臓を専門に診療をしたいと思うようになりました。その後2年間国立循環器病センター(現在の国立循環器病研究センター)にて研修をさせていただき、以後医師8年目から18年目まで計11年間大学病院にて小児循環器を中心とした診療をさせていただきました。

生い立ち①

自己紹介として私の生い立ちを少し書かせてもらおうと思います。

私は昭和51年に母が里帰り分娩をしていたため大阪で生まれました。その後は東京都、神奈川県で育ちました。特に大きな病気もせず、すくすくと育ちました。外で遊ぶのが大好きな子でいつも公園や山の中をかけずり回り、生傷の絶えない日々を送っていたのを記憶しています。また近くには田んぼがありよくそこに勝手に入り込んでザリガニを捕り、農家の人に怒られたりもしました。

小学校は地元の公立小学校に通いました。小学校に入学後も友達と近所を走り回ったり、近くの公園で辺りが暗くなるまで野球をする毎日でした。野球が大好きで小学3年生頃に地元の少年野球クラブに入部しました。しかし親の方針で中学受験をするために小学4年生から学習塾に通うことになります。その学習塾は毎週日曜日にテストがあり、野球クラブの活動に参加することができなくなりました。結果、入塾とほぼ同時に退部をすることになりました。他の同級生が楽しそうに野球クラブに行くのを横目で見ながら塾に向かう時はすこしさみしく、そしてうらやましく思ったことを記憶してきます。

中学受験では鎌倉の中高一貫の栄光学園という男子校にめでたく合格し、通学するようになりました。中学校入後はやはり野球部に入部しました。この学校は進学校でしたが、何事も自主性を重んじる自由な校風でした。そんな中で生活の中心は常に野球であったように思います。その後高校生となり進路を決めなくてはならない時期がきました。はじめは漠然と「建築士になりたいなぁ」と思っていましたが、自分には絵の才能がないことにすでに気づいており、あえなく断念しました。そしてさしたる具体的な理由もないまま「人の命を救うことのできる医者になりたい」とこれも漠然と思うようになり、医学部を目指すようになります。親戚が滋賀県にいることもあり、滋賀医科大学を受験することに決めました。こちらも運良く合格することができ、18歳から親元を離れ滋賀県で生活をするようになりました。

はじめまして

はじめまして。

私は令和1年8月に滋賀県草津市追分南に小児科クリニック(そうむらこどもクリニック)をオープンさせていただく小児科医です。

それと同時に家では4人の子供の父でもあります。これから育児、医療について経験したこと、思っていることを中心に自由に書いていこうと思います。         

それではこれからよろしくお願いいたします。