生い立ち①

自己紹介として私の生い立ちを少し書かせてもらおうと思います。

私は昭和51年に母が里帰り分娩をしていたため大阪で生まれました。その後は東京都、神奈川県で育ちました。特に大きな病気もせず、すくすくと育ちました。外で遊ぶのが大好きな子でいつも公園や山の中をかけずり回り、生傷の絶えない日々を送っていたのを記憶しています。また近くには田んぼがありよくそこに勝手に入り込んでザリガニを捕り、農家の人に怒られたりもしました。

小学校は地元の公立小学校に通いました。小学校に入学後も友達と近所を走り回ったり、近くの公園で辺りが暗くなるまで野球をする毎日でした。野球が大好きで小学3年生頃に地元の少年野球クラブに入部しました。しかし親の方針で中学受験をするために小学4年生から学習塾に通うことになります。その学習塾は毎週日曜日にテストがあり、野球クラブの活動に参加することができなくなりました。結果、入塾とほぼ同時に退部をすることになりました。他の同級生が楽しそうに野球クラブに行くのを横目で見ながら塾に向かう時はすこしさみしく、そしてうらやましく思ったことを記憶してきます。

中学受験では鎌倉の中高一貫の栄光学園という男子校にめでたく合格し、通学するようになりました。中学校入後はやはり野球部に入部しました。この学校は進学校でしたが、何事も自主性を重んじる自由な校風でした。そんな中で生活の中心は常に野球であったように思います。その後高校生となり進路を決めなくてはならない時期がきました。はじめは漠然と「建築士になりたいなぁ」と思っていましたが、自分には絵の才能がないことにすでに気づいており、あえなく断念しました。そしてさしたる具体的な理由もないまま「人の命を救うことのできる医者になりたい」とこれも漠然と思うようになり、医学部を目指すようになります。親戚が滋賀県にいることもあり、滋賀医科大学を受験することに決めました。こちらも運良く合格することができ、18歳から親元を離れ滋賀県で生活をするようになりました。

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